設立の経緯


 

代表(中山)は東京都出身。2015年に十勝に移住し、男児3人を出産。子育てをとおして環境に魅了され土地を購入。長男が生後2か月から肌のアレルギー体質に悩み、食と環境の大切さに気がつき、さらに三男妊娠中に社会情勢が大きく変動し、家族の免疫力を高めるため夫婦で情報収集に奮闘。2020.4出産直後から、様々な市民団体や地元の仲間や応援の出逢いをきっかけに、十勝で2021.3.24「ナチュラル輪おびひろ」を立ち上げました。



も く じ

1.アトピーやアレルギーって厄介なだけ? 
▶ 神さまからの贈りもの
2.学校や社会の常識ってなんのため? 
▶ 当たり前をうたがう
3.知らない土地はじめての十勝移住を決意 
▶ あきらめても繋がったこと
4.自分が自分を好きになれるかどうか
▶ 小さくても夢をもつこと
5.失敗が怖くても行動しないと始まらない 
▶ ひとりでも団体
6.先人たちから繋がる平和への想い 
▶ 一日一日を大切に
7.それぞれの役割で協働できるタイミング 
▶ 国の環境政策 みどり戦略が策定
8.動ける人に勇気をくれた応援の声
 ▶ 応援団300以上


1.アトピーやアレルギーって厄介なだけ? 
- 神さまからの贈りもの -
長男がアレルギー体質でした。肌の湿疹や喘息のような呼吸、中耳炎なども全て、薬をやめて食と環境を意識することですっかり無くなりました。アトピーやアレルギーは厄介だけど、当たり前が当たり前じゃないこと、もっと重い病気になっていたかもしれないことに気づかせてくれたありがたい存在だった。辛い辛い試練を乗り越えたことを絶対に忘れない。ふと見渡せば思い悩むご家族子どもたちが年々増加しており、クラスには一緒に給食を食べられない子どもたちもいる。家庭環境や経済状況によっては9年間毎日食べる学校給食のうち一日1食が命をつなぐ大切な栄養素となる。経験を糧にもっと大きなことをしなさいと、試されているのかもしれない。

2.学校や社会の常識ってなんのため? 
- 当たり前をうたがう -
東京都で生まれ育ち、スパルタ教育、家族関係、受験勉強、校則、宿題、周囲の大人や社会に対しての違和感を抱きながら、ダメだ無理だといわれても抑えきれない好きなことをやって、信じた道を選んできました。置かれていた場所がどこであろうと、見方を変えれば常に自分は、その環境をつくる当事者でした。常識にとらわれることのない、人間らしい本質「感じる」「考える」「夢みる」「愛する」「行動する」どれも欠かせない5つの力を大切に、それぞれの違う部分を受け入れて、共に生きていける未知を探そうって話し合える一人ひとりの自信と勇気が、自律と本質と結果と未来に繋がると確信しました。

3.知らない土地はじめての十勝移住を決意 
- あきらめても繋がったこと -
結婚と転勤を機に北海道に移住することを決めた理由は直感でした。仕事でも人生でもこれからの29歳、どうなるかを考えても未来は誰にも分からない、酸いも甘いも乗り越えてきた職を手離し、家族や友人たちとも離れ、夫婦だけで知らない街に移り住む決断に未練がなかったとは言えないけど、自分の視野の狭さを痛感するほど世界は広かった。歳月を経て、これまでの生き方や経歴、失敗と迷走の連続すべてが乗り越えられる宿命かのように、あきらめても休んでも大丈夫、きっと何でも次につながる線があることを感じました。

4.自分が自分を好きになれるかどうか
- 小さくても夢をもつこと -
大きくても小さくても夢をもつこと、夢はひとつじゃなくて、いくつあってもいい、目の前のことを一つずつ叶えていけばいい、社会や環境は自分ごと、なんでもやってみなきゃ分からない、失敗はデータ、子どもの自信を奪わない社会をつくり、子どもたちが元気いっぱい過ごせるカラダの土台を支える“選択肢のひとつ”を広めたい。子どもたちと一緒に学びを積み重ねていきたい。すべての子どもの未来のために!

5.いくら知識を学んでも議論しても行動しないと始まらない
- ひとりでも団体 -
動きたいけど動き方が分からない、当たり前のごく普通のママであり主婦が無力なのは重々承知、それでも何かやれることをやりたい、そんな時に地元の開拓人や複数の市民団体などと出逢いました。社会情勢、行政や政治の仕組み、対話の大切さなどを学び、全国一律とはいかない地域の特性や、顔の見える関係性を大切に、十勝ならではの実体験をイベントを通して重ねていったのが『ナチュラル輪』のはじまりです。

6.先人たちから繋がる平和への想い 
- 一日一日を大切に -
戦争を体験した祖父母が、誰かを否定しない、裏切られても傷ついてもやりかえさない、相手を受け入れて、人を信じること、自分のことだけでなく他者の祝い事も喜ぶこと、祝うべき日を祝えない人、やりたくてもできない人には心から温かい手をさしのべ、助け合うという心を大切に、戦いはあってはならない、掛けた情けは水に流し受けた情けは石に刻め、政治に無関心であってはならない、片寄ってもならないと、背中で教えてくれた。人は皆、かけがえのない唯一無二の存在であり、人が選ぶもの、その人の時間もすべてが宝もの。明日がくること、お日さまが昇ること、生きてること、平穏に過ごせることは奇跡。過去を嘆くよりも今が変わる未来への意欲へ、先人たちの想いを行動で、次世代の誰かにつないでいきたい。

7.それぞれの役割で協働できるタイミング 
- 国の環境政策
「みどりの食料システム戦略」 -
その頃、農林水産省で2021年5月「みどりの食料システム戦略」が策定、2050年までに日本の農地25% ※現在0.5%(100万ha)有機に転換する目標が掲げられました。学校給食を販路にすることも明記され、環境省や文科省においてもいずれ目指す共通の目的になり得ると確信し、さらに有機給食導入への賛同者が生産者はじめ企業人が身近にいることを知り、行政と地域と協働する団体設立への追い風となりました。

8.動ける人に勇気をくれた応援の声
- 応援団300以上 -
選択肢を増やすための“オーガニック給食”から始まった最後の後押しは3日間のみ募集した皆さんの声でした。けして押し付けや要望ではなく「対話」によって、行政と地域全体の共通の目的を見つけるため、試行錯誤を繰り返す地元や全国の同志の存在にも励まされながら、手段への一歩を踏み出すことができました。行政の方と協働し、地域と議会がつながり、多様な個性を理解して尊重される信頼関係は、持続可能な社会に向けた、皆に心地よく活用される文化と成りえる希望です。
すべての子どもの未来のために
- エシカル給食を架け橋に -