『古事記』『日本書紀』には、伊邪那岐尊が黄泉から帰還して禊を行ったという記述があります。禊を行なった場所について、『古事記』では「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」、『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記されていますが、この「阿波岐原・檍原(あわきがはら)」がこの神社付近であると伝えられています。この地名は、全国の神社であげられる「祝詞」の冒頭でも「かけまくも畏き伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓へたまひし時に」と読み上げられています。
近くの「みそぎ池」が伊邪那岐尊が禊を行った地と伝えられており、かつては入江であったが、後に開墾されて「江田」と称されたといいます。この神話に基づき、イザナギの子であるアマテラス・ツクヨミ・スサノオら三貴子や住吉三神の誕生地ともと伝えらています。
周辺には古代の集落跡が多数あり、代表的なものには弥生時代初め(約2,400年前)の檍(あおき)遺跡があります。また、古墳時代の初期(3世紀末)の前方後円墳・檍1号墳からは国内最大の木製墓室・木槨跡が見つかりました。